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古きよ

日本

の風景

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埼玉県坂戸市にある大榮寺は創立、本年開山473年[天文16年(1547年) 室町・安土桃山時代]

当寺は、山号を清水山(せいすいざん)院号を彼岸院(ひがんいん)

イベント
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阿字観
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写経会
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​阿字観は毎月21日午後7時から

写経会は偶数月第二週の日曜日午後2時から

寺子屋

当山へようこそ! 当山は真言宗智山派の寺院です。
この度、小生!「住職」拝命を機に、敢えて苦手な分野に試みた次第です。
早速ですが、皆さんは「お寺」と聞くと先ず、何を連想されますか!?

本堂・ご本尊・お墓・僧侶・法事・巡礼…等々
やはり、大切なことは、仏教信者であるならば、現世を生きる自分の存在に感謝し、ご本尊のご加護のもと、ご先祖さまに供養の誠を尽くすことにあると思うのです。
楽しみや苦しみなど、何でも、ご先祖さまにお話しすることではないでしょうか!

世の中が、あまりにも急成長(特に技術革新など)を絶え間なく続ける中で、人間としての精神作用のもとである「心」も伴われなければならないと思うからです。
仏教でいう「安心:あんじん」を得ることですね!
一つの例としては、仏教でいう「数息観:すそくかん」を実践するのも良いかと思います。

この方法は、身体をリラックスさせ(軽く目を閉じても良いでしょう)鼻からゆっくりと息を吸い(全身を巡る感じに)また鼻からゆっくり出す(軽く口を閉じて)!
これを、何度か繰り返し行ってみましょう。
色々な思い(想い)が廻る中であっても、何度も何度もそれを繰り返す中で、一時でも「こころ」の統一感を得られることかと確信しております。

合掌

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現住職

~大榮寺の歴史~

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●大榮寺創立 本年開山473年[天文16年(1547年) 室町・安土桃山時代]
当寺は、山号を清水山(せいすいざん)院号を彼岸院(ひがんいん)といいます。
小字(こあざ)の「清水」が物語るように、その昔、湧水地があり、生活用水はもとより灌漑用水としても地域の人々にに潤いと恵みを与えてきました。

寺の裏山から湧き出でる清らかな泉は、あたかも般若(最高の智慧)の水に似て、この泉の水で口をそそぎ、身を清めて、彼岸(悟りの世界)に到達することを願い名付けられたものでありましょう。

[湧き水跡と清水の由来]
当寺は、元は法道寺と呼ばれ栄えていたが、いつの頃か「大永寺」と改められ、その後、「永」の字が「榮」に書き換えられて今日に至っています。
本尊には、阿弥陀如来が祀られ、時の僧「智存」により天文16年、3月3日の創立と伝えられています。

今から、1762年(寶歴12年)には、不審火により全焼し、多くの古記を灰燼に帰し、その詳細を知ることができません。ただここで、明確な事項としては、明和8年(1771年)に「覚栄」僧都によって仮本堂なるものが建てられ、山の復興に粉骨砕身したことが新編武蔵風土記稿に記されています。
寛政2年(1790年)2月24日、焼失してから28年後、時の住職「秀栄」和尚により、茅葺き本堂と庫裡が建立され、法燈を消すことなく、仏法の興隆に尽くしました。

そして、文政12年(1829年)2月、時の住職「傳應」により須弥壇(しゅみだん)を建立、寶前を荘厳し祖風の宣揚に努めました。

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​[本堂正面]
慶応年間(1865~)、「良詮」和尚(第60世とされる)の時には、近村稀にみる精舎として、和歌および詩を蜀山人に学ぶなど、子弟の教育に情熱を傾け、日と共に栄え、多くの識者を輩出しました。
明治10年(1877年)良詮を偲び、その徳に報いんと、門徒たちの手により境内に碑が建立された。この事は、師の学識と人徳の高かったことがうかがえます。

昭和12年(1937年)第二次世界大戦の暗雲漂う中、永年の風雪に耐えてきた茅葺き屋根も傷みがひどく、不況の風吹く中、瓦葺きとして山容を一新しました。

[良詮和尚報徳顕彰の碑]
しかし、建立以来、数百年の歴史に耐えた土台や骨組みは、もはや修復の限界に至り、昭和63年9月に大榮寺第14世「憲識」和尚、第15世「巧人」和尚の代に本堂新築を計り、菩提寺の再建をと檀徒一丸となり、寺門興隆と法燈の継承のために本堂を新築、折しも、興教大師ご誕生900年の千載一遇の機会に落慶を迎えました。
更に「巧人」和尚の代には、これからも、御大師さまに見守られ、開かれた身近な寺として、またあるときは教養の場としての思いから、書院の建設、薬師堂の建設、鐘楼堂の建設等、境内整備に心血を注ぎました。

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[旧本堂礎石を庭石として]
ここに改めて、御本尊の御加護のもと、先師やご先祖様に感謝し見守られ、檀徒と共に、当寺の弥栄が永久にあらんことを。

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